【旅ログ】奈良井宿(長野県)|江戸時代の町並みと、夫が出会った木工品の話

訪問先:奈良井宿(長野県塩尻市)
訪問時期:長野に住んでいた十数年前、お休みの日に

長野に住んでいた頃、奈良井宿の名前はよく耳にしていた。江戸時代の町並みが残っていて綺麗だとか、そういう話は周りから何度か聞いていた。でも、地元に住んでいるとかえって「いつでも行ける」と思ってしまって、なかなか足が向かないものだ。結局、住んでいる間に一度も行かずじまいになりかけていた。そんなある日、特に予定のないお休みの日に、夫婦でふと思い立って向かうことにした。

「奈良井千軒」と呼ばれた宿場町の歴史

現地の案内板には、奈良井宿は江戸幕府が中山道に定めた宿場町の一つで、選定地区は南北約1km・東西約200mの範囲におよぶと書かれていた。行ってから改めて調べてみると、この宿場の歴史はさらに古いところまで遡るようだった。奈良井宿の鎮守である鎮神社は文治年間(1182〜1189年)に創建されたとされ、この記録からすると鎌倉時代初期にはすでに人々の営みがあったと推察されている。そして戦国時代の天文元年(1532年)、当時の領主だった木曽義在が奈良井宿に専念寺を創建し、翌年の天文2年(1533年)に奈良井宿を宿駅に定めたとされている。その後、慶長6年(1601年)の江戸幕府による宿駅制定にともなって、近世の奈良井宿として整備されたという。

木曽路最大の難所といわれた鳥居峠をひかえ、峠越えに備えて宿をとる旅人が多く、「奈良井千軒」と呼ばれるほどの賑わいを見せたとのこと。木曽路十一宿の中では最も標高が高い宿場だったそうで、江戸寄りから下町・中町・上町に分かれ、中町と上町の間には「鍵の手」と呼ばれる街道の曲がり角があるらしい。面白いのは、奈良井宿が明治時代の道路改修の際に国道から外れたことで、宿場時代の町並みがほぼ完全な形で今日まで残ったという点。皮肉にも「取り残された」ことが、今この景観を見られる理由になっているのだと知って、少し不思議な気持ちになった。こうした町並み保存運動自体は昭和43年から官民学連携で始まっていたそうで、昭和53年に国から重要伝統的建造物群保存地区に選定されたとのこと。案内板の前でしばらく地図を眺めながら、これから歩く通りの長さと、その裏にある歴史を二人で確認した。

奈良井宿の基本情報
項目 内容
所在地 長野県塩尻市奈良井
中山道での位置 六十九次のうち34番目、江戸・京都のほぼ中間
宿駅に定められた時期 天文2年(1533年)とされる(慶長6年に近世宿場として整備)
指定 国選定重要伝統的建造物群保存地区(昭和53年5月31日選定)
アクセス JR中央本線「奈良井駅」すぐ

駐車場から歩いて、空気が変わった通りへ

まず目に入ったのがこの案内板。長野に住んでいながら、奈良井宿についてちゃんと文字で読んだのはこの日が初めてだった気がする。宿場町としての成り立ちや、当時の賑わいの様子が書かれていて、読んでいるだけで少し歴史の中に引き込まれるような感覚があった。

駐車場に車を停めて、通りに向かって歩いていく。すると途中から、明らかに空気が変わったような感じがした。うまく言葉にできないけれど、車の音や現代的な建物がふっと消えて、木造の家々が続く景色に切り替わる瞬間があるのだ。とにかく通り全体が、古いお店や家の町並みで埋め尽くされている。まるでタイムスリップしたみたいな感覚だった。

古い商家が並ぶ通りをゆっくり歩く

一軒一軒、看板の形も飾りつけも少しずつ違っていて、見ているだけで飽きなかった。木の看板に彫られた店名、軒先に吊るされたカラフルな飾り、玄関先に置かれた鉢植え。どれも作り物めいたところがなくて、実際にそこで生活しながら商売をしている雰囲気が伝わってきた。

夏らしい飾りつけの店も多く、歩いているだけで季節を感じられた。緑の濃い葉と実をつけた木が店先を覆うように茂っていて、暑い日差しの中でもどこかほっとするような佇まいだった。

 

こうした昔ながらの薬屋や漆器店が、通りの両側にずっと続いている。店先に置かれた丸太の椅子に腰掛けている観光客の姿もちらほら見かけて、ここでは急がずゆっくり過ごすのが正解なのだと自然に感じさせられた。

店だけでなく、通り沿いのお寺にもふらっと立ち寄った。手入れの行き届いた松が石灯籠に覆いかぶさるように枝を伸ばしていて、その静かな組み合わせが妙に心に残った。観光客で賑わう通りから一歩入っただけで、こんなに静かな空間があるのかと少し驚いた。

鎮神社の鳥居と鐘楼

今まで色々な神社を回ってきたけれど、ここはとても地域に大切にされている神社だと感じた。派手さはないのに、鳥居の朱色も社殿もきちんと手入れされていて、地域の人たちが今もこの神社を大事にしている様子がにじみ出ていた。後から調べて、この鎮神社が創建されたのが平安末期の文治年間だと知り、あの静かな佇まいの奥に、想像していた以上に長い歴史が積み重なっていたのだと驚かされた。

鳥居のそばにあった鐘楼も、下から見上げるとその造りの細かさがよくわかった。組み木がいくつも重なり合っていて、一体どうやって組み上げたのだろうと、しばらく首が痛くなるまで眺めてしまった。

杉並木を抜けて出会った二百地蔵

「二百地蔵・杉並木」の案内に従って階段を上っていった。夏に行ったけれど、杉並木の中はひんやりと心地よくて、木に守られているような感じがした。木漏れ日が石段に落ちる様子も静かで、通りの賑わいとはまったく違う時間が流れているようだった。樹齢を重ねた杉の木々が両脇から包み込むように立っていて、歩いているだけで自然と背筋が伸びるような気持ちになった。

たどり着いた先で見たのがこの光景。長年の人の想いを感じた。一体一体の表情も、削られ方も少しずつ違っていて、それぞれに作った人の手が加わっているのがよくわかる。ここまで作るのも、ここまで守り続けるのも大変だったと思う。時代を超えてここに集められ、今もこうして並んでいることに、静かな重みを感じた。それを実際に自分の目で見て、肌で感じられたのは、来てよかったと思えた瞬間だった。

夫がハマった木工品、今も使っている一品に

実は主人が木工品好きで、このとき奈良井宿のお店で小物入れを一つ購入した。それがきっかけで、この周辺の木工所を回ってはあれこれ買うようになった。今でも家で使っているマグカップやスプーン、お皿、漆を塗った工芸品もある。旅先で「ちょっと気に入ったから」と手に取ったものが、こんなに長く生活の中に残るとは、その時は思っていなかった。手土産にもたくさん買って帰り、渡した相手にも喜んでもらえたのを覚えている。


これがそのとき買った小物入れ。木目の上に描かれた花の絵が気に入って、十数年経った今もお気に入りのまま手元にある。派手すぎない色使いと、木の質感を活かした仕上げが、年月が経っても古びた感じがしないところも気に入っている。

中を開けると赤い布張りになっていて、ちょっとしたアクセサリー入れとして今も使っている。開けるたびに、あの日の奈良井宿の景色を少し思い出す。

後から調べたところ、奈良井宿から車で少し行った木曽平沢エリアには、木曽漆器の工房が数多く集まっているとされている。当時はそこまで詳しく調べずに、通りのお店を見て回っただけだったけれど、今思えばこのあたり一帯が木工好きにはたまらないエリアだったのだと思う。周辺の木工・漆器関連スポットを、調べた範囲でまとめておく。

奈良井宿周辺の木工・漆器スポット
スポット 内容 奈良井宿からのアクセス
木曽漆器館 木曽漆器の歴史・道具・製品を紹介する資料館とされる(木曽平沢エリア) 車で約10分
木曽くらしの工芸館 木曽漆器・木工品・竹細工を展示販売する施設とされる 車で約15分(木曽町福島)
道の駅 木曽ならかわ 国道19号線沿いの木曽漆器・特産品の販売コーナー 要確認

また、木曽平沢エリアには漆器や木工の工房が多数点在しているとされており、毎年6月第1金・土・日曜には「木曽漆器祭」という木曽路最大の漆器市が奈良井宿内および木曽平沢で開かれているそうだ。もし今度この地を再訪するなら、この時期を狙って行ってみるのも良さそうだと思っている。

まとめ

奈良井宿は、話題になっていることは知っていても、実際に足を運ぶまでは想像でしかなかった場所だった。歩いてみて初めて、通りの空気や神社の佇まい、杉並木の心地よさが実感としてわかった。後から歴史を調べてみて、鎌倉時代から続くとされる土地の上を自分たちが歩いていたのだと知り、あの静けさにも納得がいった。長野に住んでいた頃はこういう場所ほど後回しにしがちだったけれど、この日思い切って行ってみて本当によかったと思う。

何より印象に残っているのは、主人の木工品好きに火がついたのがこの旅だったということ。ふらっと立ち寄ったお店で手に取った小物入れ一つが、その後の休日の過ごし方まで少し変えてしまうのだから、旅先での小さな出会いというのは侮れないものだと思う。

あの小物入れは、十数年経った今も家の中で変わらず使われている。蓋を開けるたびに、あの日歩いた通りの静けさや、杉並木を抜けたときのひんやりした空気が、ふっとよみがえってくる。形に残る思い出というのは、こういうことなんだろうなと、この記事を書きながら改めて感じた。

次に長野を訪れる機会があれば、今度は木曽平沢の工房まで足を延ばして、当時見られなかった漆器づくりの現場も覗いてみたい。